小説を一本書き終えたあとに思うこと
数年前に小説を書こうと思った。
その頃、オレは雑貨屋の店主だった。
10坪程度のこじんまりとした店をやっていた。
勤めていた店の暖簾分けから始まり、徐々に自分のカラーを出していった。
商品のほとんどは、海外に行き自分の目で見て買い付けて来たもの。
国は、インド、ネパール、タイ、メキシコなどだった。
現地で何か面白いものはないかなと探し回るのも楽しいし、日本でそれを売るのも楽しかった。
こんないい商売はないな。
当時、そう思っていた。
もちろん、向き不向きはあると思う。
初めての国でも必要以上に恐れず、好奇心旺盛に歩き回るのが好きじゃなきゃ務まらないし、値段交渉だって必要不可欠だ。
また、接客が好きでお客さんと笑顔で話をすることが出来なければ始まらない。
オレには向いていたと言える。
チャレンジすることが好きで、最後までやり通さなければ気が済まない性格のオレは、見知らぬ土地での仕入れにワクワクしたし、販売時にお客さんにその商品と出会ったときのストーリーを話すのも楽しかった。
そんな店を5年やっていたのだが、日々商売をしていると、本当にいろんな出来事があった。
悔しい思いもしたし、素敵な出会いもあった。
思いがけない幸運もあったし、その逆もあった。
また、人生について深く考えるようになったし、自分が何者かよくわかるようになった。
そして、父の死をきっかけに閉店を考えるようになった。
もともと、父の体調が思わしくなくなり、近くに居たいと思って始めた店だったのだ。
そしてその頃、漠然と、この商売の体験を小説に出来ないかと思った。
きっと、何か残しておきたくなったのだと思う。
それは、お客さんへの感謝の気持ちもあるが、自分の生きた証を書いておきたかったのかも知れない。
全部本当のことだと重くなっちゃうから半分くらいはフィクションにして。
あれから、数年経ってやっと書けるときがやって来た。
あんまり体験がリアルなうちは書くのが難しかったのだが、数年経ち、「あの頃」を俯瞰で見ることが出来るようになり書けるようになった。
原稿用紙にして100枚。
小説一本目としては、まあまあの枚数だろう。
今、思い返すとよく100枚も書いたなというのが正直な気持ちだ。
内容はどうあれ、書き上げたという達成感はある。
これは本当にある。
すごくある。
猛烈にある(笑)
ちなみに、この世で販売されている本の数といったら天文学的数字だろう。
そのほんの何冊かを読者として読んでいて、自分でもこういう感じなら書けるかな、なんて思っていたのだが、大間違いだった。
感覚として似ているのが、高校生のときに初めてバンドを組んで練習したあとに録音テープを聞いたときの衝撃だ。
『こんなにダメなの?オレ』である。
(自分を客観視することは昔から得意だ)
書きたいテーマがあって、無理せず自分の言葉で、且つ万人が読みやすい文体や表現でと、いろいろ考えて書いてみるのだが、これがなかなか難しい。
一行書いては半分削除みたいなことの繰り返しだった。
作詞作曲を十代からずっとやってきているのだから、書くことにある程度は自信があったのだが、これは全くの別物だった。
しかし、やり続けているとコツがわかってくる。
オレは書き手だが、別人格の読み手として同時に存在すれば良いのだ。
あと、今回思ったのは詩は家で書けるが、小説は書く場所をたまに変えた方が楽しいということだ。
今回書き上げた小説を読み返してみても、このシーンはあのカフェで書いたななどと覚えていることが多い。
場所は大切だ。
小説を書こうという気持ちになる、もしくは筆が進む場所を持つことは重要だと感じた。
一瞬のひらめきを捕まえて、短い言葉に落とし込む作詞の作業よりも、ディテールを作り込んで長い文章で展開する小説には、ある程度の緊張とリラックスのどちらもが必要だからだ。
だから、どこでも良いという訳じゃない。
常連だと認識してくれてはいるが、程よい距離感で接してくれる店。
そういう店がありがたい。
さて、小説は書き終えて、賞に応募した。
結果は、あと2か月ほどでわかる。
こういう時間が楽しい。
デモテープをレコード会社に送っていた20代の頃を思い出す。
気分はほとんど一緒だ(笑)
人間はそうそう変わらないもんだなと思う。
今回は、たまたま表現方法が「動」から「静」になっただけだ。
「動」の方の歌も再開したいものだ。
まだまだ新型コロナウイルスが油断できないこんな状況でも何とか出来ることを模索して行きたいと思う。
まずは、中断していた自宅レコーディングスタジオ作りを再開するとしよう。