中学生がギター教えてとやって来た。曲はVaundy!!
ラジオで初めて聴いた時、久しぶりにノレるシティポップを作る人が出て来たなと思った。
アーティスト名は、Vaundy(バウンディ)。
現役大学生という紹介だった。
音使いからして、オレの好きなロックではない。
しかし、ノレる。これが重要だ。
誰かが言っていたが、音楽のジャンルなんて音色(オンショク)で変わる。
まあ、そんなもんだとも思う。
クリーントーンかディストーションサウンドか、その違いは大きい。
好みの問題だ。
その好みを軽々と超えて(その音色、サウンドがどうあれ)、ノレるというのはとても素敵なことだ。
Vaundyはいい。オレはこの夏からそう記憶していた。
そして年末。
親戚の子どもたちがやってきた。小学生と中学生。
ギターを抱えてきたのは中学生だ。
オレにギターを教えて欲しいという。
アコースティックギターで弾き語りがしたいと言う。
歌本ももう買っているということで、まず教えて欲しいのは、
①チューニング
②TAB譜の見方
③コードの押さえ方
④カポタストの使い方
だという。
問題無くそれらをクリアし(もちろん丁寧に一時間以上掛けているが)、いよいよ曲を選ぼうとして持ってきてくれた歌本見た。
弾き語りの定番曲の他に今どきのアーティストが結構載っていた。
どれがいい?と聞く。
彼が選んだ弾きたい曲は3曲。
その中でオレが知っている曲は、一曲だけだった。危ない危ない(汗)
それが、Vaundyの「東京フラッシュ」。
2カポで、Cmaj7 B7 Em Fmaj7 の循環コード。
コードを4つしか使わないので、楽と言えば楽。
左手は、
コードフォームを覚えて
コードチェンジを反復練習
右手は、
小節のアタマでしろたま(全音符)を弾いて、2、3、4と心の中で数える
そして、歌う
合計3時間。
なんとかカタチにはなった。
長時間、よく頑張った。
何より、ずっと目がキラキラしてたのが素晴らしい。
そして、みんなで一緒に紅白を観た。
Vaundy、初めてライブを観たが良かった。
声も出るし、生であれだけ歌えれば上等だ。
自信満々で煽る姿はカッコ良かった♪
自信満々の10代、20代のアーティストを見ると嬉しくなる。
ヤレヤレ!、ヤッチマエ!と思う。
多分、20代の頃、オレがそうだったから。
当時は音楽が全てだった。
音楽に集中したいから彼女を作らないって時もあったし、あんまり遊びにも行かなかった。
それくらい音楽漬けの日々だった。
元々何でものめり込むとやり過ぎるタイプだからしょうがないが、今思い出すとよくやってたなーと思うこともある。
例えば、普段歩く時に、リズムの練習だからと心の中で一歩ごとにタタタタとか三連符でタタタとか言って歩いていた。
あと、丸一年くらい、24から25歳にかけては、ギターが上手くなるようにと箸を左手で持って食べていた。
ハスキーな声を手に入れようとバーボンでうがいをしたこともある。
それらが、功を奏したかどうかは不明だが、真剣にやっていた。
完璧主義者だと公言していたし、バイトも作詞作曲もバンドの練習もライブも全部全力でやっていた。
絶対プロになると思っていたし、一時はプロとして活動した。
今、思えばそこに生活というものが無かったのかなと振り返ったりもする。
身体を壊して入院したこともある。
ある日、『完璧』なんてものは無いんだよって、バイト先のむげん堂のオーナーに言われたっけ。
50代になった今では、その鎧は脱いで、心地良さを大切にしている。
年が明けて、親戚の中学生はどうやらオレと同じカポを買ったようだ。
ギターの神と呼ばれるエリック・クラプトンと同じカポでもある。
安いのでいいよーと言ったのだが、同じのがいいらしい。
まあ、最初に手にする道具はいいものに越したことは無い。
練習を頑張って、次に会う時には、自信満々で弾いてみせて欲しい。
親戚の叔父ちゃんがCD出してるんだからオレだって出来る筈だーくらいに思って欲しい。
何だか一つ楽しみが増えたな。
やっちゃえ、中学生!!応援してるよ。
そうそう、紅白と言えば、一緒に来た小学生のコメントが面白かった。
工藤静香を見ては「この人、男?」といい、小室哲哉を見ては「この人、おばさん?」と言っていた。
今やジェンダーレスアーティストの氷川きよしやヴィジュアル系カリスマ大集合バンドのLAST ROCK STARSのときには何も言わなかったのに。
子どもには勝てないね(笑)
グルテンフリー継続中 〜2ヶ月やって思うこと〜
幼い頃、アトピーを患った。
成長するにつれ改善したのだが、ハタチから東京に住むようになり、水や空気のせいか、はたまた食べ物のせいか再発した。
軽度ではあったが、精神的にはツライものがあった。
高円寺の皮膚科に長い間通った。
そのうち、ずっと通うのもイヤになり、自分でもどうにかしたいと、図書館でアトピー関連の本を何冊も借りて来ては読んだ。
民間療法も名医の本もごちゃ混ぜに。
そこから、保湿やステロイドとの付き合い方、ビタミンCの効果などを学び取って、医者から処方されるだけでなく、自分の身体で試して来た。
バンドマンの長髪ロック兄ちゃんが、そんなことをしていたなんて、当時周りのみんなはきっと知らなかっただろう。
まあ、人知れず抱えてる問題ってのは誰しもあるものだ。
今でも、たまに肌が荒れることがある。
季節の変わり目や油っこい食べ物とアルコールが重なった時が多い様な気がする。
ひどい時は、皮膚科にも行くし、ステロイドも塗って治す。
所謂、対処療法だ。
「なにか、もっと根本的に皮膚炎にならない方法はないものか」
皮膚科の帰り道、ふと考えた。
そういえば、もう何年も、新しい試みを行っていない。
そこで、ネットでいろいろ調べてみた。
肌の改善に良さそうなものが二つあった。
・グルテンフリー
・カゼインフリー
それぞれ、小麦粉を摂らない、乳製品を摂らないという方法。
子どもの頃、アトピーを治すには、肉、卵、牛乳を摂らないと良いと言われていた。
でもそれは、無理だった。
今回は、どうだろう? 難しいだろうか。
元々牛乳を好んで飲まないので、カゼインフリーはとりあえず置いといて、グルテンフリーのマイホディ実験をしばらくやってみることにした。
小麦粉の入ったモノは「もう食べない」じゃなくて、「しばらくの間食べない」って感じで。
どんなモノが対象になるか、オレの食生活で見てみると、
・ラーメン
・うどん
・パン
・洋菓子
・餃子
・ビール
ざっと、そんなとこだろうか。
しかし、今回は実験だ。
たまには、それらも食べて身体の変化を感じることとしよう。(多分夏のビールはやめられない!)
そうして始まったオレのグルテンフリー生活。
2か月が経過したが、アレが食べれなくてツライみたいな感情はまったく無い。
元々お菓子は買って食べないし(頂いたのは食べますw)、お米が大好きだから平気なのかもしれない。
写真は、最近頂戴したお土産「東京ばな奈」。
ふと裏を見ると、ナント!グルテンフリーだった。
こんなメジャーなものまでグルテンフリーになってるとは驚きだった!
(ちなみに、コレはタケコプター付きのアタリ♪)
もちろん美味しく頂きました。
あと、先日驚いたのが、幸楽苑の「たっぷり野菜ロカボスープ」という一品。
家族で幸楽苑に行ったので、グルテンフリーはお休みしてみんなでラーメンを食べようと思ったのだが、メニューの中にそれを見つけてしまった。
塩味と味噌味があるのだが、『野菜ラーメンの麺無しバージョン』なのだ。
面白いな~とライスと一緒に注文。
着丼したそれの見た目は、ラーメンなのだが、掘っても掘っても野菜とスープだけ。
そして本当に野菜がたっぷりだ。400g以上あるらしい。
満足感もあり、なんだか、ハマりそうな予感(笑)
まあ、そんなこんなで継続中のグルテンフリー生活。
肌の具合はというと、いいかもな~という感じで、劇的な効果というものは感じられない。
まあ、でもそういうものだろう。
まだ2か月だ。
ただ、自分の身体に入れるものを気にするようにはなった。
そして身体が軽くなった。体重ではなく、感覚として。
これからもずっと、続けるかどうかはわからない。
ただ、オレの身体でいてくれるマイボディには感謝して、食べ物に気を遣って行こうと思う。
うん、思う。
ただ…
そう思いながらも、最近オレにはやりたい事がある。
それは、まだ人生で一回もやったことがない「たこパー」だ。
略さないで言うと「たこ焼きパーティー」。
めっちゃ、小麦粉だ!
でも、したいものはしたい。
くるりんと焼いてみたいのだ。
最近寒いし、時期的にもちょうどいい(笑)
実は、たこ焼き用のホットプレートはもう検索してある。
まっ、早晩買うだろう。
というわけで、ゆる〜く「グルテンフリー」を継続中というお話でした。
たこパーやるぞw
ティラノサウルスレースに参加したよ😄
ウチの息子は、1歳の頃から恐竜が大好きだ。
ジジにジェラシックパークをババにゴジラを刷り込まれ、アマプラで恐竜のうたを観て、2歳になった今ではメジャーな恐竜の名前はほとんど言える様になっている。
Tシャツ、ズボン、靴下、帽子、長靴まで恐竜だ(笑)
恐竜のおもちゃだけで一体何体あるんだろう。
そんな息子を持つオレがネットでふと目にした『ティラノサウルスレースあさむし』の告知。
エアで膨らむ恐竜の着ぐるみを着て、砂浜を走るらしい。
そしてどうやらアメリカでやってるのを鳥取の人が真似て、今回青森でも!となったらしい。
その動画を何本か観たのだが実にバカバカしい(笑)
最高だ(笑)
オレはこういうアホみたいなものが好きだ。
野外ロケのお笑い番組みたいだと思った。
お笑いウルトラクイズや風雲たけし城、リンカーンとか観てたな〜
そういえば、ひょんな事から20代の頃にお笑い番組に出たことがあった。
たけしの全日本お笑い研究所という番組だ。
ある日、高円寺LAZY WAYSというライブハウスのブッキングマネージャーからお笑い番組に出ませんかと電話があった。
オリジナル曲を横森良造氏のアコーディオン伴奏でヘビメタ歌手になりきって老人ホームで歌って欲しいという依頼だった。
R&Rバンドのハノイロックスが好きで金髪長髪にしているのはもちろん知っているが、ヘビメタの感じでお願いというのだ。
人生は何があるか本当にわからないものだと思いながら、当時面白いオファーだと快諾したのを覚えている。
当日、現場に行くとサブローシローが司会で楽屋も一緒だった。
一緒に出演するミュージシャンからビールをもらってプシュッとしたらサブローさんに掛かって、大阪弁で怒られたっけ(笑)
ヘビメタが慰問に来るというミスマッチを狙った企画だったが、入所者さんたちは普通に楽しんでいたな。
まあ、そんなオレ(笑)なので、今回ティラノサウルスレースを知ってすぐ出ようと思ったのだった。
エントリー開始日にメールで申し込むと、なんと100人中81番!! 希望者がかなりいたらしくギリギリだった。
それから一ヶ月、夜中や早朝にジョギングやダッシュの練習をした。
ちなみに、高校の時は、50m6秒フラットだったが、今は自信がないw
普段全く運動していないので、取りあえずやっとこうと。
川沿いを走ると、夜はライトに照らされた川面がキラキラと綺麗だし、朝は青空が反射して空も川もブルー一色で爽快だった。
これは、今後も楽しみとしてやっていこうと思う。
さあ、そして当日。
走り込みは、確かにやった。
しかし、不安を拭えないことがあった。
砂浜を走っていないのだ。
いや、そもそも恐竜を着て走ったことがないのだ。
恐竜を着たのは一度切り。
届いたその日に、どんなものかと着て、なんとなくギターの弾き語りをしてみただけだ。
休みの日に浅虫海岸に行こうと思ったものの、梅雨時期で休みはいつも雨だった。
しかし、当日を迎えた。やるしかないのだ!
8時過ぎに現場に着くと駐車場はまだ空いていた。
めちゃめちゃ暑い日で、音響ブースでは、DJ AKITAがチューブを掛けていた。もう完全に夏真っ盛りだ♪
恐竜たちも知り合いが多かった。
ゆったんザウルスやうし子ザウルス、のぞザウルスに先川ザウルス、中村観光協会会長ザウルス等、みんな好きだねーとニコニコしてしまう。
そして、レースまで少し時間があったので、ちょっと走ってみたのだが、、、
腕が振れない、足が開かない、前が見えない、砂で走りにくい
何だコレーーー!
やばいなと思いつつ、家族が見守る中、レースがスタートした。
予選と決勝があり、まずは予選。
ティラノサウルス シニア(40〜60歳)オスの部、8人が横並びに揃う。
ピストルの音で飛び出すも、左からいきなり押されて若干右側に走る。
右の恐竜にぶつかる。弾かれる。そもそも前が見えない。
前の恐竜が転ぶ。それを避けて左に走る。
結果、意図的では無いにしろ、お互いにぶつかったりぶつけられたり、踏んだり踏まれたりしながら何とか全員ゴールまで走り切ったのだった。
まあ、そういうアクシデントが予定調和じゃなくて面白いんだよね。
シニアの皆さん、恨みっこ無しでよろしくお願いします(笑)お疲れ様でした!!
そしてオレは、ゴールで、スタッフのお兄さんから、予選突破ですよと声を掛けられたのだった✨
その後、太陽も更に本気を出して来た頃に決勝が始まった。
恐竜の中が暑すぎて、本番まで顔を出しておきましょうというスタッフさんの声掛けもあった。
正直汗だくで、待ってるのが辛いくらいだった。
それでも、全員最後まで走り切った。
オレは、入賞は出来なかったが、全然オッケーだ!
レースは、楽しかった♪
そして、何より嬉しいのは息子が楽しそうだった♪
彼は、帰りの車の中で何度もこう言っていた。
「今日、パパザウルスいたね♪」
オレは、ハンドルを握りながら、何度も「いたねー」と笑顔で答えた。
主催者の皆さん、スタッフの皆さん、楽しかったよー!
青森でやってくれてありがとう!
ギター3本まとめて吊るしてみた。HERCULES GS432B PLUS ギタースタンド 3本用 購入!
楽器というものは本当に場所を取る。
しかも、何故か自然と増えてしまうものだ。
現在オレの所有しているサオモノ楽器(ギターやベースなどネックのある楽器)は、以下の通り。
アコースティックギター 2本
エレキギター 2本
エレキベース 1本
合計5本
余談だが、このサオモノ(棹物)という呼び方に触れたのは、20代の頃。バンドのCD発売が決まり、本格的なレコーディングをしに山中湖のスタジオを訪れたときだった。
聖飢魔Ⅱやアースシェイカーも所属している事務所の社長が、ハイエースから楽器を運び出すオレたちにこう言ったのだ。
「持って来た楽器はサオモノだけか?」と。
社長の言う「楽器」にはアンプも含まれていたのだ。
その合宿レコーディングでは、スタジオのアンプを使わせて貰い、帰ってすぐアンプを買いに行ったのも今となっては懐かしい思い出だ。
さて、本題に戻ろう。
ギターが一本なら、ここにこうして置こうとあまり悩まなくていいのだが、複数所有している場合は、その保管さえ、こだわりたくなってくるものだ。
東京で一人暮らしをしていた頃は、部屋の壁にフック掛けをして4本並べて悦に入っていたものだった。
ケースに入れとけばいいんじゃないのという意見もあるが、やはり好きなので「見たい」「眺めたい」のである。
しかも、ケースに入れっぱなしはギターにも良くない。調湿材を入れても金属パーツなどはくすんでしまう。
そして、一番の理由はすぐ持って弾ける環境にしておくためだ。
いちいちケースから出して閉まってでは、弾く機会を失ってしまう。
ギターは見ていると弾きたくなってくるものだ。
その時にすぐ手に取れるのが一番いい。
壁に並べて飾る以外では、ラックタイプも使ったことがある。
ツアーバンドの楽屋かステージ袖にありそうなタイプ。
これはこれで良かったが、部屋に置くととにかくスペースを取る。ラックの上は完全なデッドスペースとなった。
しかも斜めに置くことになるのでネックの影響を考え、たまに向きを変えてみたりと面倒なこともあるのだ。
今回、ラックタイプを人に譲り、なにか良いモノはないかとネットサーフィンをした。
すると、若干アホみたいな、愛すべきアホみたいなモノがすぐ見つかった。
これである。
これはないだろうと思いながらよく見ると、以前から購入し、信頼し、愛用しているHERCULESの商品だった。
であれば、品質には問題ない筈。
心が動き出した。
確実に省スペース! そしてちょっと買うこと自体チャレンジで面白い。
しかも、3本タイプと6本タイプがあるという。
いやー6本って!
6本は流石にギター怪獣みたいになりそうなのでやめて、3本のタイプを購入してみた。
開けて
ギターたちをセット
足は完全に広げないですぼめた状態でも設置できるが、地震等も考え、広げて使用している。
ギターによって重量がかなり違うが、その影響はあまりない。
3本掛けていて、1本取ったらバランスを崩して倒れそうになるという事も無い。
スペースもせいぜい1.5本分といったところ。
とりあえず、1本はどうしても裏になってしまうので、すべてを「見る」ことは出来ないが、裏側を眺めるのも悪くない。
あまり、知り合いで使用している人がいないので、ちょっと不安もあったが、買って正解。大満足だ♪
気になってる人がいたら、3本用ってアリだよと伝えたい(笑)
結局、棹物全5本の内、3本はこれに、残り2本は同メーカーの壁掛けフックと1本用スタンドに置いている。
もうこれ以上、ギターを増やさないようにしなくてと思う。
しかし、息子用のギターをいつ買うか悩んいるのも事実だ。
3歳からがいいのか小学生になるまで待つか。
もしかしたら、数年後には、6本用ギタースタンドを買っているかも知れないな(笑)
薪ストーブと薪とキンクラの話
火が好きだ。
そうひとことだけ言うと危ないヤツみたいだが、『火』を見ていると何かプラスのエネルギーを感じる。
理屈じゃなくそう感じる。
もしかしたら太古の昔から続く遠い記憶のせいかもしれない。
間違った使い方をしなければ、火はとても素晴らしい。
竪穴住居では、中心部に炉を構えて火を焚いていたが、現代の住居ではそうもいかない。
しかし、家の中で木を燃やして揺らめく炎を見つめることが出来るモノがある。
薪ストーブだ。
2021年12月後半、薪ストーブライフをスタートさせた。
昔から何もかも準備万端でやるタイプではない。
やりながら走りながら考えるタイプだ。
しかし、全く調べなかったわけでもない。導入前に薪ストーブ屋さんにも行ったし、関連本も何冊も読んだ。
大体のアドバイスが、スタートさせる前に軽トラとチェーンソーと斧が必要だよ。始める前に薪を作っておこう。というものだった。
2~3年乾燥させた薪がいいんだよなどとも。
しかし、何も用意せず突然始めることにした。
もちろん後悔は無い(笑)
『始めたら始まりさ』
そうSIONが唄っていたっけ。
製材所で薪を買い、大工さんから端材を貰う。
今年の冬はこれでいい。
先ずは、プロが作った薪を堪能するとしよう。
現在、薪は決まったところから購入している。
一度、ホームセンターのを使ったのだが、乾燥が甘いのか燃え方がイマイチで、他をあたってみることにした。
仕事納めの次の日、12月29日の夕方に薪を扱っているという製材所さんに電話を掛ける。
「すみません、薪が欲しいんですが、営業していらっしゃいますか」
「あと、1時間くらいで今年の営業は終了だよ」
「こ、これから行きます!」
大雪の大渋滞の中、なんとか辿り着く。
薪を3カゴ分と焚きつけを一束購入した。
薪ストーブを始めたばっかりなことやオレの薪ストーブが縦型で火室が狭いことなどを話した。
すると、これで太いのを割ると楽ですよーと、面白いカタチのモノを見せてくれた。
キンドリングクラッカーというものだった。(縮めてキンクラと呼ぶらしい)
その場で、太い薪をパッカーンと割って見せてくれた。
「これは面白いですねー」とオレ。
値段を聞くと、一万五千円也。手持ちは無い。
「これ、良かったら貸しますよ。使ってみてください」
「え、いいんですか。ありがとうございます!正月明けに返しに来ますね」
なんだかとっても気の良いお兄さん二人に出会えたことでウキウキで帰路に就く。
走り出してからふと気付く。
あのお兄さんたち、初めて会ったのに、オレの名前も連絡先も聞かずに貸してくれた...。
なんかいい。同好の士は信頼しちゃうぞみたいなアバウト且つワイルドな感じがいい。
今、思い出すと、次回もここで薪を買うぞ!とそこでもう決意したような気がする。
しかし、この先ずーっと薪を買うのではなく、いわゆる「薪活」ってヤツを始ようと思う。
春になったら斧を手に入れて自分で薪を作ろう。
お世話になっている方に切り分けてもらった原木の玉切りが少しあるから、まずはそれをパカーンと行こう。
そして次の冬のために情報収集をし、出来る範囲で薪作りをしよう。
そしてそれを楽しもう。薪ストーブやってるよという先輩方、薪を売っている人や薪を作っている人、薪として余生を送る木を知っている人、是非情報をください。
よろしくお願いします♪