クリント・イーストウッドの映画『運び屋』を観て、外での評価や家族について考える。
アホみたいな話だが、30歳くらいの頃に似てると言われたハリウッドスターが二人いた。
ちなみにこういうことを言うのは、いつもバンド仲間の男友達で女子には全く言われたことがない(笑)
冷静に見て、似てはいない。(日本人だしねw)
もしかしたら、似ているというのは「顔」ではないのか?
まあ、理由はよくわからないが、言われると変に意識するもので、ついつい彼らの新作映画があると観てしまう。
今回観たのは、クリント・イーストウッド監督・主演の『運び屋』。
彼の作品は、監督も主演もというパターンが多い。
まるでシンガーソングライターのようで、彼の表現者としてのこだわりとプライドを感じる。
そして、いつもオレの期待を裏切らない。
今回彼は、88歳で90歳の役を演じている。
まだ観ていない人のために、あまり詳しくは書かないが、家族を顧みなかった男が人生の終末にその大切さに気づき、愛のために危険を厭わず己を通す物語だ。
「あなたは、いつも外で自分が評価されることを望んだ」
そんな風に病床の妻から語りかけられるシーンがある。
グサ!グサ!グサ!
世の男たちは、身に覚えがあるのではないのだろうか。
いや、女たちだって同じだろう。
はっきり言ってしまえば身も蓋もないのだが、人間は家の中よりも外で賞賛を浴びることに喜びを感じるものらしい。
この映画の主人公は仕事を頑張って成功させることに喜びを感じていた。
仕事だぜ?頑張って何が悪い?とばかりに家を顧みない。
そして、外で賞賛を得る。人気者で人前ではいつも満面の笑み。
家の中では、ダメダメ。家族からの人気はゼロで、いつもしかめっ面。
ホント、バカな話だ。
家族が最高のチームじゃなければ、家族でいる意味なんてないのに。
家族で笑ってるのが最高なのに。
そんなこと、わかってる筈なのに。
しかし、それが人間。
人の欲というものは、恐ろしい。
外で評価を得たい。これは、よく言われる「SNSで評価を得たい」のと同じ承認欲求というものなんだろう。
ちょっと調べてみると・・・
【承認欲求】
他者から自分の存在を認められたい、受け入れられたい、尊重・尊敬されたいと思う外的な欲求。
凄いと思われたい、褒められたい、評価してほしいという感情。
きっと、SNS中毒になっている人だけがこの承認欲求に取り憑かれているわけではない。
無人島でひとりで暮らしているわけではないから、誰しも、その欲求が内面から出てくる可能性はある。
出世欲や成功欲は、自己実現欲求とこれの複合だと思う。
オレもミュージシャンや役者、作家として活動する表現者の端くれだから、その欲求について分からなくもない。
だが、表現者として、圧倒的にカッコイイのは、他の評価を気にすること無く、己の道を進む者だ。
例えば、サマセット・モームの小説『月と六ペンス』に出てくる画家(ポール・ゴーギャンがモデル)のように、絵を描くために安定した生活を捨て、誰に見せる事無く狂ったように絵を描き続ける。そして死後、傑作が発見される。
まあ、究極はそうなんだが、やはり評価を得たいというのが一般的な表現者であり、人間だろう。
この映画でも聖人君子になれと言ってる訳ではない。
人間ってそういうとこあるよなって気づかせてくれる内容だ。
オレは、この映画ではっきりと分かったことがある。
それは、
『家族を大切にしよう!』
ということ。
何をやってもいいから、とにかく家族を悲しませたらダメ。
放ったらかしにしたらダメ。
顧みなくなった時点でアウト。
外じゃなく、家の中で賞賛を浴びるべきなのだ。
マザー・テレサは「世界平和のために、私は何をしたらいいでしょうか。」と尋ねられ、次のように答えたと言う。
「あなたの家に帰って、あなたの家族を愛してあげてください。」
そういう事だよね。
うんうん。
さあ、家で賞賛を得る為、近いうちに旨いカレーでも作るとしよう。