Ryu's Rock Life Blog

シンガーソングライター、ボーカリスト、ボイストレーナーとして活動するRyuのブログ

写真の持つチカラ ~STAY HOMEで写真の整理~

もうホントに、写真の整理ほど手の止まる時間が多い作業はないのではないかと思った。

ここで言う写真とは、画像と同義語ではない。

紙に現像された『写真』のことだ。

 

この一か月ほどで、大量の写真を整理した。

 

父、母の若い頃の写真

幼いオレや姉が写った家族写真

父がどこかへ旅行している写真

親戚の結婚式の写真

学生時代に友達が焼増ししてくれた写真

社会人になって職場で撮った写真

バイク仲間との写真

アメ車仲間との写真

友達との飲み会の写真

友達の子供たちと写した写真

 

そして

 

そして

 

大量の

 

オレのライブ写真!!

 

 

整理するに当たって、自分なりのルールを設けた。

 

①知らない人だけの写真やピンボケ写真は思い切って捨てる

②似たような写真は、1枚残してあとは捨てる

③集合写真で、小さすぎてよくわからないものは捨てる

④ファミリーに限らず笑顔の写真は残す

⑤誰に見られても大丈夫な写真だけ残す(笑)

 

 

あらためて振り返ると…

 

 

・父、母の若い頃の写真

これは、すべて取って置いた。
オレが生まれる前の二人。初々しくて見てると嬉しくなってしまう。

映画「バックトゥザフューチャー」を思い出した。
二人が笑っているツーショットは最高だ♪

昔の写真なんだけど、二人に幸あれと思った。

 

 

・幼いオレや姉が写った家族写真

赤ちゃんのオレを抱く父やおんぶする母の写真は、特別だ。
大人になると、親にあまり迷惑も掛けずひとりで大きくなったような気がするものだが、人は皆、赤ちゃんの頃があり、今がある。それを再認識させてくれる。

感謝してもしきれない。頭があがらない。
しかし、幼少期のオレや姉を含む家族写真のなんと楽しそうなことか。

ニコニコおかおのオンパレードだ♪

 

 

・父がどこかへ旅行している写真

父は、ライオンズクラブや業界の団体に加入していたので、研修旅行などの名目でいろいろな所に行っていたようだ。

観光地などで写したもののなかには、父以外のメンバーの写真も多くそれらは処分した。
面白かったのは宴会の写真で、父の余興の写真だ。
東京の舞台で演劇や歌手をやっていた父らしく、生き生きと楽しそうな父の姿があった。

 

 

・親戚の結婚式の写真

実家を22年離れていたオレは、冠婚葬祭に参加することがなかなか難しかった。
姉の結婚式にも参加出来ていなく、今でも申し訳なく思っている。おのずと親戚の結婚式にもほぼ参加していない。
しかし、たまに帰省すると『東京でバンドやってるお兄ちゃん』のオレを親戚のみんなが飲みやカラオケに誘ってくれて仲良く遊んでいた。
そんな親戚の祝いの席の写真が結構あった。
写真を見ると出席した気持ちになれるから、今見てもいいものだ。
仲の良い親戚の厳かな表情はなんかいい。

 

 

・学生時代に友達が焼増ししてくれた写真

高校生くらいになると、自分たちでインスタントカメラを使い、運動会や遠足等のイベントや個人的なパーティーを撮影するようになった。
当時のオレはリーゼント。
ハイティーンブギのキャラクター「翔」に似てると同級生に言われて、その気になっていたのを思い出した。
今、冷静に見ると全然似ていない(笑)

 

 

・社会人になって職場で撮った写真

青森を出て最初に働いたのは茨城県だった。水戸の営業所での懐かしい寮生活が蘇る。
知り合いのいない土地で、一から仕事を覚え、だんだんと友達が出来て、バイクで大洗・阿字ヶ浦の海岸によく行ったっけ。
そういえばオレ、茨城弁も使えるんだってことを思い出した(笑)

東京のアジア雑貨屋で働いていた頃の年賀状用集合写真や慰安旅行の写真もあった。
それはそれは濃いメンツが揃った雑貨屋だった。いろんなことを学ばせて貰った。
この店に出会っていなければ今のオレはいないと思えるほどだ。
ド金髪のロックにいちゃんを雇ってくれたことに今更ながら感謝!!

 

・バイク仲間との写真

社会人になってからもあまり車に興味が無かったオレは、ずっとバイクに乗っていた。
いい機会だから思い出してみると、18歳から30歳までの愛車遍歴は、こういう感じだ。

YAMAHA RX50 Special
KAWASAKI GPZ400F
YAMAHA RZ250RR
YAMAHA TZR250
YAMAHA SR400
YAMAHA DRAGSTAR250
KAWASAKI ZEPHYR400


10代の頃、暴走族でもないのにわざわざ夜に集まって撮影したテールランプが流れる写真は、昭和の雰囲気バツグンでニヤリとする。

その他、ミュージシャン仲間で初日の出ランと称してバイク数台で観音崎に行った写真もあり、ブルブルの寒さだった記憶が蘇る。

 

 

・アメ車仲間との写真

何度か事故にも会い、30代半ばでバイクを降りて車に乗るようになった。
車では仲間意識は芽生えないかと思ったが、CHEVROLET  CAMARO  Convertibleに乗ったことでカマロオーナーズクラブに入った。
高速のサービスエリアに集まってみたり、観光地に行ってみたり。
人のカスタムを見るのは楽しかったが、車をイジるよりも走ることが好きで、しかも群れるのは好きじゃないので数回しか行かなかった。
オープンカーは、またいつか乗りたいなと写真を見て思った。

 

 

・友達との飲み会の写真

これはもうどうでもいいという写真が沢山あった(笑)
男ばっかりで飲み屋でふざけてる写真とか、カラムーチョとかのスナック菓子をつまみにアパートで飲んでる写真とか。 
大体がハタチ頃で、アホっぽくて面白い。昔の方が、今より写真を撮るときにふざけていたような気がする。変顔もそうだし、誰かの頭の上にいたずらしたり。
現像するまでのお楽しみってのが良かったのかな~

 

 

・友達の子供たちと写した写真

親しくしていたアマチュアミュージシャンの中に、子供が生まれる仲間が30代くらいから増えだした。
そのままプロデビューの夢を追い続けた者もいたし、音楽活動を辞めた者もいた。
そんなミュージシャン仲間の子供たちにオレは結構好かれた(と思っている)。
実際、オレのあぐらの中を取り合って子供同士でけんかが起きたくらいだからまんざら嘘でもないだろう(笑)

成人したその子らに会うとなんだか親戚のおじさんのような気持ちになる。
今は地理的に離れてしまったが、彼らが元気で子供時代のように笑顔で暮らして行くことを願うばかりだ。

 

 

そして

 

 

・オレのライブ写真!!

 この量の多さには参った。
マチュア時代からライブをやると、メンバーの関係者だったりマネージャーだったりがライブの写真を必ず撮ってくれた。
一時期プロとして活動していたときは、事務所がプロのカメラマンさんで撮ってくれたりもした。
と、いうことは、本格的にライブを東京で始めた23歳から、活動を縮小させた38歳くらいまでの約15年間のライブ写真がほぼあるということになる。
多いときは年間10本くらいライブをやっていたので相当な量だ。
仮に36枚撮りで毎回撮影していたとしたら、36×10×15=5,400枚!

とりあえず、あまり悩まずに取捨選択マシーンとなってどんどん捨てて行った。
10分の1以下にはなったと思う。
東京では7つバンドをやったので、それぞれの思い出があれば枚数はそんなに要らない。
もうこの世にいないメンバーもいるし、アイツどうしてるかなって気になるメンバーもいる。
写真を見ると、また一緒に音を出したいと思うけど、そう思えるバンド活動が出来たことを喜ぶべきだろう。
15年間の歩みを今回一冊のアルバムに入れた。
長髪時代、金髪時代、アンコールでは上半身ハダカ時代(笑)など、なかなかレアな写真もあって、これもあれも自分だなと再確認。
こういう人生を生きて来ての今だから、これからもオレらしく生きて行こうと改めて思う。

 

 

今回、ステイホーム中に大量の写真を整理しなくてはと、やる前は面倒な気持ちになったが、実際は違った。

面倒な時間じゃなくて嬉しい時間だった。

人生を振り返ることは、なかなか日常では難しい。

今回、それが自然に出来た。

撮影してくれた人にも感謝だ。

そして写真の持つチカラに改めて気づかされた。

写真には過去しか写っていないが、それはあたかも大きな木の根っこのように自分の足元を支え、未来に葉を伸ばすために確実に役立っていると言える。

最後に、プロに撮ってもらったライブ写真を載せておこう。

この頃の自分に負けないように。

 

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