ビブラートについて考える
ビブラートが苦手なんです~という声をよく聞く。
しかし、そもそも論で考えると、
「そもそもビブラートは必要なのだろうか」
となる。
いろんな音楽スクールなどでビブラートを教えていると思うが、個人的にはそんなに必要なのかなと思ってしまう。
それは、なぜか?
たぶん、オレが「わざとらしい」のがキライだから。
以上。
いやいや、もうちょっと掘り下げてみよう。
すべての歌詞の語尾にいかにもなビブラートを掛けて歌うのは、やる人によっては、「天然」感が無く「わざとらしい」と感じてしまう。
なんかココロで歌っていないなあと。言い方を変えると、ココロに響かないなあと。
しかし、困ったことにこれは、『やる人によっては』という注釈がつく。
『やる人によっては』というのをひとまず横に置いて、「天然」について考えてみよう。
まず思うのは、単純に「天然」っていいよね。
天然マグロ
天然色
天然ボケ
天然パーマ
みんな素敵で嘘が無い!
ここ大事。
オレは上のヤツ全部好きです(笑)
じゃあ、どんなのが「天然」のビブラートかというと
真っ先に思い浮かぶのは、
この人のビブラートは、超「天然」に感じる。デビュー当時にもう完成されている。
所謂、ちりめんビブラートと言われるものだが、やってる感が無い。本当に自然だ。
次に大御所エルビス・プレスリー
この人ほど、上手く歌おうとしていない感があるのにココロに響く人もいない。
ビブラートを含めて「天然」だと思う。
やはりキングは、偉大なのだ。
仮説だが、「歌っていたら感情が入って、結果としてビブラートになってしまった」というのがビブラートの起源なのではないだろうか。
それを、これはすごい感情表現だと、演者たちみんながこぞって真似したのではないだろうか。
そんな気がする。
話は変わるが、ダウンタウンの松本が以前テレビで言っていたことが忘れられない。
「漫才で、ここはもっと声張らなとか思ってやったことない。ネタに入ると、自然と大きい声にも小さい声にもなる。わざと大きい声を出したらそれは嘘になる」
そんな内容だった。
これには、ものすごく共感した。
表現者として、大事なことだと思った。
結局「わざとらしい」のは、響かないってこと。
昔のことだが、とあるオーディションに合格し、育成アーティストとして目黒にある事務所の預かりになったことがある。
元バックストリート・ボーイズのニック・カーターのプロデューサーもデビューに関わって日本以外でも活動するというビックプランだった。
ある日スタジオでバラードを歌ったオレは、ミキサールームで自分の歌をスタッフ全員で聴いたあとに、プロデューサーに聞いてみた。
「ビブラートをもっと練習した方がいいでしょうか」
答えは、こうだった。
「ハートで歌うことが一番だよ。歌うときにそれは考えなくていい」
その後、イギリス ヨークシャー州出身の女性ボーカルトレーナーとレッスンを開始したのだが、彼女もまたビブラートを使えとは言わなかった。
オレはそこの事務所では、デビューすることにならなかったが、大切なことを教えてもらった。
ハートで歌うことが一番。
それは、今でもそう思っている。
では、まとめ。
ビブラートを使うときは、
「歌っていて自然とそうなった、気づいたらそうなっていた」
ぐらいがかっこいい。
以上。
そうそう、『やる人によっては』は、
アイドルやアイドル的な歌手以外の人は、と言い換えることが可能だ。
アイドルはビブラートをしても、例えそれがわざとらしくてもなんの問題もない。
何故ならすでに観客のハートを鷲掴みだから。
そうありたいものだね(笑)